Op.7

 クーラウのピアノ協奏曲はハンブルク時代の作品です。1810年暮れにハンブルクからデンマークに 旅立った(亡命と言われています)その時のクーラウの旅行カバンの中に入っていたものと思われます。1811年1月23日に行われたデンマーク王立劇場での演奏会でこの曲が演奏されたことはご存知のことと思います。(ブリッカ・ピアノスコア「ウイリアム・シェイクスピア」序文参照のこと)その後第2番目のピアノ協奏曲ヘ短調が作曲されましたが、1831年の火災で失われてしまったとされています。(《火災によって失われたもの》を参照のこと)
ここに掲載したピアノ連弾版はSAMFUNDET TIL UDGIVELSE AF DANSK MUSIK 3. SERIE NR. 136 (1961)を参照しています。所々のミスプリントは訂正しています。

Soloパートはシュタインウエイ、Orchestraパートはベーゼンドルファーの音色で演奏しています。

 

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1st. Movement

2nd Movement

3rd Movement

第3楽章の楽譜は中断していますが、演奏の音源は続きます。いずれ第3楽章も全編をアップするつもりです。
なおCadenzaは第1楽章は演奏者に任せ、第3楽章はクーラウ自身のものです。
音源は手直しをしながら時々入れ替えています。
この曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番からクーラウがモデルテクニックを用いたと言うことがはっきり読み取れるものです。
ベートーヴェンの協奏曲は1801年に出版されています。ですからクーラウにとっては充分研究が可能だったことでしょう。しかし、冒頭のテーマを見る限りクーラウの方に軍配が上げられると思うのはクーラウマニアだからでしょうか?