火災によって失われたもの (石原利矩)


1831年2月5日、クーラウにとっては大きな災いが降りかかりました。これは後のクーラウ研究にとって大きな障害となりました。リュンビューの大火によって住まいが燃えてしまったのです。

失われたものの中で一番重要なものと言えば作曲した作品の手稿(自筆譜)が挙げられます。特に未出版の手稿は論を待ちません。クーラウは出版した作品の手稿が出版社から返却された後は大切に保管していたと思われます。トラーネは「老後に備えて作品をため込んでいた」と述べていますが、作曲したものは大体において出版されていますのでこれは考え過ぎかも知れません。しかし、最も残念な作品にピアノ協奏曲第2番ヘ短調があります。生前、演奏された記録が沢山残っています。トラーネが伝記編纂している時期にクーラウと接触を持った人たちから取材聴取をしていますが、そのソリストをしたピアニストはその旋律を口ずさんだということです。しかも、ピアノ協奏曲第1番ハ長調よりも優れているという評価もされています。その後この協奏曲が我々の目に触れないのは火災によって失われた可能性が高いのです。その他オペラのスコアの自筆譜も殆ど失われています。オペラ『魔法の竪琴』だけは現存しています。オペラ『ルル』が何故再演されたかは筆写譜(写譜屋が書いたもの)が王立劇場に残っていたからなのです。 

現在、ピアノソナタ集の出版の準備をしています。原典版を目指していますがその拠り所となるのは殆どが初版印刷物です。何故なら自筆譜が消失しているからです。(幸いにも----不思議なことに----作品127のピアノソナタは自筆譜が残っています。火災のあった時は未出版でした。*)初版を元とする場合は印刷所の版を作る職人が正しく原稿を再現しているかどうかを考慮しなければならないのです。こんな所にも火災の影響は現れているのです。

*) 注:作品127に関して参照ページ<クリック>

その他手紙類の消失は伝記作者には大きな障害です。クーラウから発信したものは残っていますが、もらったものは殆ど失われています。書籍類も残っていればクーラウの思考を追うことが出来るものです。

エーリクセン「クーラウ伝記」にはハンブルク時代の師、シュヴェンケより贈られたモーツァルトの自筆譜のことが述べられています。これも火災によって失われたとされています。何の曲かは不明ですがモーツァルト研究者には残念なことでしょう。

しかし、一体何が消失したのかは不明のままです。現在手に入らないものは「消失した可能性がある」ということになります。可能性ですからもしかしたらどこかの屋根裏とか古本屋の倉庫とかに残っている可能性もなきにしもあらずです。デンマークはドイツなどと異なり世界大戦で建築物の消失を免れています。あるいは何年か先に発見されるかも知れません。

オプティミストの方が人生楽しいということでしょうか?