フリードリヒ・クーラウとその芸術

 クーラウは北ドイツのユルツェン(Uelzen)に生粋のドイツ人として生まれました。しかしナポレオン戦争の動乱を避けて1810年にデンマークに移住、その後帰化して1832年に没するまで首都コペンハーゲンを中心に活動した作曲家です。ドイツ人でありながらデンマークの作曲家となったという事実が、クーラウが音楽史上不遇であったことと深くかかわっております。

 しかし彼は、決して長くはない、また決して恵まれたとは言えぬ生涯の中で、現在知られている限りでも二百三十曲余りの作品を残し、デンマークの代表的作曲家の一人としての評価を得ています。交流のあったベートーヴェンはクーラウを「カノンの巨匠」と称賛し、また彼の才能に瞠目した同時代人たちの多くの証言が残されております。

 クーラウが活躍した十九世紀前半のデンマークは、時あたかも史上空前の文化的黄金時代を迎え、H.C.アンデルセン、キルケゴール、グルントヴィ、J.L.ハイベア、トーヴァルセン、エーレンスレーヤ、エアステズなど、あまたの大才を産み出した時代でもありました。クーラウもこれらの人々と直接、間接の関係を結ぶ中で創作活動を行っております。

 音楽史的に見るなら、クーラウはこの時代以降のデンマーク(北欧)ロマン主義音楽の発展に先鞭をつけた人物であると言うことができます。その音楽は、彼が生涯尊敬して止まなかったモーツァルトのスタイルを基調としながら、ベートーヴェン、ウェーバー、ロッシーニ、ケルビーニなど同時代のすぐれた作曲家たちの長所を旺盛に摂取し、意識的に「借用」しつつ自らのものとして消化し、北ドイツ的な堅牢な形式と、みずみずしい北欧的叙情性とを融合し、独自の個性的な芸術世界を形成することに成功しております。

 しかし没後彼の作品は、器楽のための愛らしい小品など、ごく一部を除いて忘れられ、その全貌は歴史の闇に覆われてしまっております。

フリードリヒ・クーラウ協会設立の趣旨

 フリードリヒ・クーラウ協会は、以上に述べた現代の歴史的状況と、彼の芸術の持つ価値との双方の観点から、クーラウの芸術を再評価することに多大な意義があるとの確信のもとに、彼の芸術を敬愛する有志により、先行する様々な活動をもとに、国際組織として設立されました。その目的は、フリードリヒ・クーラウの作品と生涯、及び彼を中心とする黄金時代のデンマークの諸文化を研究、紹介、普及することにあります。

 音楽を芸術という限られた分野の特殊な営みであると断定するのは誤りです。各分野にわたる人間活動は、すべて直接、間接の関係で密接に結ばれつつ、相互に影響を与え合う中で営まれるものであるからです。

 いかなる大木も、いかなる大森林も、当初は地に落ちた小さな種子が成長した結果であることを思うとき、一人のすぐれた作曲家の再発見と再評価の持つ意義は決して小さいものではないことを信じます。フリードリヒ・クーラウこそは、知られざる「もう一つの西洋音楽の世界」への扉を開く人物だからであります。

 フリードリヒ・クーラウ協会の設立を機に、クーラウの音楽に関心をお持ちの、またわれわれの趣旨にご賛同くださる多くの識者の方々のご参加とご助力とを切にお願い申しあげる次第であります。