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トッシー先生のユルツェン『ルル』鑑賞ツアー同行記 (その7)


 とうとう、オペラ『ルル』鑑賞の旅も最後の日を迎えた。今日は来たときと逆のコース、ハンブルクからフランクフルト乗り継ぎで羽田まで飛び帰国する。ホテルから歩いて4、5分のところに電車の駅(Berliner Tor)がある。そこから乗り換え無しで空港に行ける。空港までタクシー組と徒歩組とに分かれた。みんな、もう勝手知ったるハンブルクという具合に行動している。

オペラ『ルル』鑑賞の旅(2014年11月7日~11月14日)


ハンブルクから帰国編


その7 ハンブルクから帰国

午前中 ホテル チェックアウト、各自空港へ
すでにタクシー組は出発した。

世界の果まで、まだ旅行出来そうに元気 電車組
ハンブルク空港駅  


タクシー組と再会

熱烈歓迎 ・・・でもないか


13;00 空港でチェックイン
15:00 LH023 ルフトハンザ航空にてフランクフルトへ
16:10 フランクフルト着

フランクフルト行き搭乗機 フランクフルト空港着


16:10 LH716 ルフトハンザ航空にて 空路、羽田へ(所要時間11時間05分)

フランクフルトから 東京・羽田へ


トッシー先生の7日目のエピローグ:
 いやー、ごくろうさん。

 この旅行中わたしゃ、ずっと考えていたね。何のことって?そりゃ、ルル王子のことだよ。今回のユルツェンのオペラ『ルル』の公演についてだよ。
 わたしゃ、管理人に旅行の報告を頼まれのでこのツアーに同行したんだよ。それをただ「聴いてきました」だけじゃ申し訳ない気もするから、一筆啓上つかまつろうかね。オペラの専門家でないからえらそうな感想なんて書けないけど、なんせジェットラグ(時差ぼけ)のせいもあったのか演奏会を思い返してみて記憶が飛んでいるところがあるんだよ。

 同道記の4日目に紹介した新聞記事は「演奏会が行われた」ということを報道したことは認めるけど、内容はトンチンカンなものだったね。
 同道記の5日目の批評は途中までだったから気になっていた。これを全文紹介しよう。


フルートを持った勇士
ニーダーザクセン劇場によるフリードリヒ・クーラウのオペラ『ルル』の演奏会形式

 殆ど200年にもわたって机の引き出しにしまわれていたことは、それなりの理由がある。今や同じテーマのモーツァルトの天才的な作品『魔笛』があるのにも関わらずクーラウのオペラ『ルル』を取り上げる必要があるのだろうか?
 しかしながらニーダーザクセン劇場はユルツェンの息子の楽譜のホコリを取り払い上演することを決めた。
「ホコリを払う」と言ったのはいくらかの広がりをもった意味であるが正鵠を得ている言葉だと思う。なぜなら音楽監督ヴェルナー・ザイツァーはすぐにも演奏できなかったこの総譜を手にしたからである。・・・とディレクターのヨルグ・ガーデは休憩時間に話していた。さらにザイツァーの尊敬するヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのリブレット作者、エマニュエル・シカネーダーの評価を高めたものとなった・・・と。
 モーツァルトとクーラウのオペラはアウグスト・ヤコブ・ヴィーラントの「ルルまたは魔法の笛」の同じ原典によっている。クーラウと彼の作詩者のお伽噺は道徳を説くもの(勧善懲悪)で純粋な英雄のうつくしき者の救出を目的に留まっているが、一方シカネーダーはこの物語からご承知のように多層の物語にしている。クーラウには黒と白しか無いがモーツァルトの場合はいろいろな組み合わせに共感をもって彩りを与えている。ここでは音楽についてはまだ述べていない。


 1824年コペンハーゲンで女王の誕生日の際に初演されたこのオペラは当時のロマン的成功作品と見なされた。批評家はこの作品はモーツァルトの音の 混合物、ウェーバーのアイデア、さらにはロッシーニの着想によるもと酷評した。これはクーラウが友人たちにロッシーニをいつも批判していたことによるにちがいない。
フリードリヒ・クーラウは1786年ユルツェンで生まれ、1832年デンマークの首都の近くで没した。彼は転換期にいた。彼の音楽はこれに対してむしろ勇敢であったのだ。
 イルメナウ劇場のプラカードにはニーダザクセン劇場のこの作品の上演は演奏会形式と書かれていた。ハノーヴァーとヒルデスハイムの客演家がいくつかの衣装と小道具を用いたことは、モーツアルトの『魔笛』の演出に負うものであろう。もしも『ルル』の完全な演出をしたら恐らくおかしなものとなっていただろう。それゆえこの解決策は妥当であり美しかった。
 序曲は「盗賊団オルセン」を思い出させる。(訳注:デンマークで人気のあった映画のシリーズ、『妖精の丘』序曲に合わせて盗賊団が劇場の裏側で壁を壊すシーンがある)この音楽は映画にあるように金槌の音があったり静かになったりする。勿論、この作曲家の大好きなフルートのソロも用いられている。それに続く3時間の演奏は特に合唱や独唱者の歌詞の理解力が欠如していた。

 王女シディのイヴォンヌ・プレントキは細い声で、輝かしくなく、ロマン的大編成のオーケストラに埋もれてしまった。彼女の英雄ルルのテナーのコンスタンティノス・クリロノモスには難しい高音域がしばしば現れたが、残念ながらその声は正しくは出ていなかった。それに対してバルカのヤン・クリストフ・シュリープは確実で目立っていた。母音が明るく広がっていたので歌詞が後の席にいてもよく分かった。悪者の魔法使い、ディルフェングのレヴェンテ・ギョルギーはバスバリトンの形にはまっていった。総じて音楽的魅力とは違うものである。

 ヴェルナー・ザイツァーは力強く正確な指揮ぶりであった。オーケストラと歌声とのバランスは美しかった。ニーダーザクセン少女合唱団は鈴のような透き通った声だった。2013年のクーラウ・コンクールの優勝者、ララ・ヒュッテマンはルルの横に立ち魔法の笛を吹いたが最高に美しい音を聴かせた。

 クーラウの音楽はどんな複雑なものであっても耳にこびりつかないし、こびりつく力が無いと言える。いくつかの箇所に美しい場面がある。こびとのバルカの「酒の歌」(「バッカスの腕に抱かれる者は天国に行ける」)。これにはオッフェンバッハを思わせる騒々しさとエスプリがある。このバッカスの腕は音楽的に興奮させ、再び清浄と無垢の神聖なるハッピーエンドの前に置かれるものである。

 約400人の聴衆の拍手は友好的であったが控えめであった。快い大喝采はなかった。ニーダーザクセン劇場が引き受けたことは尊敬に値するが、何故この総譜が200年も眠り込んでいたかというそれなりの理由がある。

2014年11月9日 バーバラ・カイザー


トッシー先生の7日目のエピローグの続き:
 これを読んでどう思ったかね?
 王子ルルもクーラウさんもさんざんだね。酷評に近い。バーバラさんはこの企画に偏見を抱いているように思える。省略した演奏会形式を観ただけでオペラ『ルル』のことをこれだけ言い切っている勇気はすごい。
この演奏会を実際に聴かなかった人はこれを読んで「さぞや、クーラウのオペラ『ルル』はつまらないものだろう」と思うに違いないね。
 この批評に関して現在3人の反論が掲載されている。追ってこれも紹介しよう。
 その他にもこのツアーに参加した人たちの旅行の感想文もある。8日目に総まとめをしないとね。


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