クーラウの自筆譜・新たなる発見!!!

ブスク氏から知らせが入りました。
今まで知られていなかったクーラウの自筆譜がオーストリア国立図書館でいくつか見つかったことを。
その中には作品109「3 Rondos für Klavier」、作品102-2「Duo für 2 Flöten」のパート譜、及び作品81-1「Duo für 2 Flöten」のパート譜が含まれます。
クーラウの自筆譜は現存しているものが非常に少ないので、これが本物であれば貴重な発見です。
作品80と81のフルート二重奏曲がウイーンで書かれたもの(1825年 )かは大変興味あることです。これが解明されると良いですね。
下にある楽譜は作品81-1のファースト・フルートの最初のページです。詳細は追ってお知らせ致します。
2013.6.2


 


その後のお知らせです。
この自筆譜の発見者のAnne Pustlaukさんは現・ブリュッセル在住の王立音楽院のフルート科でクイケン氏のアシスタンスをされていて、トラヴェルソ・フルートの勉強もされたフルーティストです。ドクター論文「トラヴェルソ・フルートからベーム・フルートの間のフルート」のために資料を集めている間に「突き当たった」と言っています。
何故、クーラウのパート譜の自筆譜があるのかは大変興味あることです。出版に当たって「クーラウは出版社にスコアを提出して、スコアから出版社がパート譜に移し替え、パート譜だけを出版した」と永らく私は考えていました。その場合はクーラウはパート譜を作る必要が無かったはずです。もしもクーラウが作曲するときに直接パート譜だけで作曲したのであればこれは特殊な才能を持ち合わせていたと言えます。なぜならどんな作曲家でもスコアで作曲するはずですから。
これに関してブスク氏は次のように説明しています。
「クーラウはまずスコアで作曲して、そこからパート譜を清書してパート譜だけを出版社に送った」のだと。それなら最初に書いたスコアはどうしたのでしょうか。これが現存しないのは1831年2月5日の火災のために焼失してしまったと考えるしかありません。

この作品81は作品80と共に1825年ウイーンで作曲された6曲のフルートの二重奏曲ではないかと考えられています。その理由として、その時期の後に出版されたフルート二重奏曲はこの作品しかないからです。

これに関してはIFKSホームページの小論文『クーラウのフルート二重奏曲 作品80&作品81 の作曲年--「ウイーンで作曲されたものか」についての考証』をお読みください。
クリック


Trois Duos pour 2 Flútes, composés par F. Kuhlau
- Oeuvre 81. -
(A.F.122)

Flauto 1mo


今回の発見で分かったことは作品81の自筆譜はパリのファランク社が所有していたもので、1940年12月3日にウイーンの国立図書館がKöhler 古物商(古本屋?)から買い上げたものです。上の写真は作品81の表紙の下半分のものです。(A.F122)はFarrenc, Jacques Hyppolite Aristide (1797-1865)の番号(蔵書番号?)と考えられます。作品80&81はジムロック社とファランク社の共同出版楽譜です。どのような経緯でKöhler 古物商がこの楽譜を手に入れたかは不明です。これに関して、今年9月発行のIFKS会報にAnne Pustlaukさん(この度、IFKS会員になられました)の寄稿が掲載されることになりました。詳しくは会報をご覧ください。
2013.6.10
石原利矩・記