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第12回IFKS定期演奏会報告

クーラウ・ルネサンス Part4

フリードリヒ・クーラウ作曲

〜知られざるピアノ作品〜「クーラウの玉手箱」

2007年6月13日(水)

19:00 開演

あいれふホール・福岡

 東京以外で初めて行われたIFKS定期演奏会でした。出演者は全員、福岡在住のIFKS会員のピアニストでした。丁度その日は梅雨入り宣言のあった日。どんよりした小雨模様の天候にもかかわらず大勢のお客様が熱心にクーラウのピアノ曲に耳を傾けてくださいました。7時きっかりに開演して9時10分に終わりました。殆どの聴衆にとってプログラムの曲は初めて耳にするものばかりでした。今回はお客様に演奏会の感想をアンケートに書き入れてもらいました。アンケート集計をご覧下さい。
当日のパンフレットより
知られざるピアノ曲
〜クーラウの玉手箱〜
プログラム
●クーラウがウインクをしている理由
●新進の作曲家(ハンブルク時代)
作品2 ロンド
Op.2 RONDO
演奏:岩崎 美恵
作曲年:1809年頃、初版出版:1810〜14年。ハンブルク時代の作品。
 作品1〜3は曲想は異なりますが規模は大体同じもので、クーラウは3曲を作品1でまとめて出版する予定でした。しかし、出版されたときは別々の作品番号が付けられ出版時期もずれていました。3曲ともWalmoden Gimborn伯爵夫人に献呈。第1番は4/4、モデラート、C-Dur。若者の明るい将来を暗示するような曲想です。第2番は2/4、a-moll、モデラート アッサイの愛らしさと情熱を織り交ぜた魅力的な作品です。第3番は6/8、アレグロの快活な曲です。この3曲は形式的にはロンドですが,あたかもソナタの第一楽章、第二楽章、第三楽章の3つの楽章から構成されているような趣があります。今日はその内の第2番のロンドです。

●デンマーク移住
●コペンハーゲンでの活躍
作品76 ピアノ連弾のためのベートーヴェン歌曲「人生の幸せ」による8つの変奏曲 
Op.76 8 VARIATIONEN 歟er Beethoven's "Lebensgl歡k"
演奏:相園 恵 & 岩崎 美恵
作曲年:1826年頃、初版出版:1827年。 Caroline皇女に献呈。
 変奏曲の主題はベートーヴェンの歌曲「友情の幸せ」作品88を用いています。「人生の幸せ」と「友情の幸せ」はタイトルは異なりますが歌詞は同じものです。
クーラウの作品でベートーヴェンのメロディを用いたものはいずれも1825年以後に作曲されています。
Op.72a(ca.1826),Op.75(ca.1826),Op.76(ca.1826),Op.77(ca.1826),Op.117(ca.1831)。全てベートーヴェンの歌曲のテーマを用いていることも共通しています。
作品76を作曲した前年(1825年9月3日)クーラウはウイーン近郊のバーデンにベートーヴェンを訪ね、暖かく迎えられました。まだベートーヴェンの音楽を完全に受け入れる人ばかりでなかった当時のデンマークにおいてクーラウは早くからベートーヴェンの音楽を音楽会で紹介する役割を果たしていました。このようにベートーヴェンの歌曲を自作に用いたことはクーラウにとって常日頃尊敬していたベートーヴェンがこの会見を機に更に身近になったことの現れでしょう。

●タバコ(パイプ)が好きな理由
Op.4 KLAVIERSONATE Es Dur
作品4 ピアノソナタ 変ホ長調
演奏:岡 直美
作曲年:1810年頃、初版出版:1810年。友人のSchafferに献呈。
 1804年頃からハンブルクの音楽界にクーラウの名前が現れてきます。この曲は作品番号の付いた最初のソナタで、ブライトコップ&ヘルテル社から出版された最初の作品です。まだ世の中に知られていない新進の作曲家の作品がブライトコップフ社から出版されると言うことはとても大変なことなのです。これがなかったらその後の作品20のソナチネ(ブライトコップ社1819年出版)も生まれなかったことでしょう。
イントロダクション付きの第1楽章は3/4,Es-Durアレグロ、ソナタ形式。第2楽章は4/4,Es-Dur モデラート,自身の主題による変奏曲(本日は時間の関係で割愛)。第3楽章は6/8、H-Dur, アダージオ、三部形式。第4楽章は6/8、Es-Dur,ヴィヴァチッシモ。すでにクーラウが高度な作曲技術を持っていたことがこの曲から分かります。

----------------------休憩----------------------

●クーラウに対する誤解
●作曲家としての特質
作品123 ピアノ連弾のための悲愴的アレグロ 
Op.123 ALLEGRO PATHETIQUE
演奏:岡 直美 & 清水 美保
作曲年:不明、初版出版:1832年。遺作
 曲は1楽章形式でできています。緊張感の伴うアレグロの力強い動機で始まり、クーラウの得意な対位法的な手法もふんだんに用いられています。ピアノ4手の音響は管弦楽を想定しているようにもきこえ、色彩感溢れる曲となっています。

●多作の理由
●作曲の流儀
作品61 ワルツ様式による6曲のディヴェルティメントより2番,3番,6番
Op.61 -2,3,6 6 DIVERTISSEMENTS EN FORME DE VALSE
演奏:相園 恵
作曲年:1824年頃 初版出版:1825年出版(ハンブルク、A.Cranz社)
 作品61には6曲が含まれますが、今日の演奏会では第2番、第3番、第6番が演奏されます。
No.1 Es-Dur, ヴィヴァーチェ。No.2 A-Dur,ヴィヴァーチッシモ。No.3 f-moll,アレグロ コン パッショーネ、No.4, E-Dur,アレグロ。No.5 F-Dur, アレグロ コン グスト。No.6、Es-Dur,ヴィヴァーチェ。 いずれも3/4拍子のワルツ形式です。6曲のワルツ集と言っても良いと思われますが、スケルツォ的で器楽的な曲が多いためディヴェルティメントとしたのでしょう。

●デンマーク文化の黄金時代
●劇場作品
作品92 「コペンハーゲンの魅力」 イントロダクションと華麗なるロンド
Op.92 LES CHARMES DE COPENHAGUE INTRODUKTION und RONDO Brillante
演奏:清水 美保
作曲年:1828年頃、初版出版:1828年。
 この曲は少々変わったロンドです。というのは主題は当時のはやり歌、あるいは有名になっていたメロディを用いているからです。この曲に用いられている曲は次の通りです。

1. Rud. Bay : Dannevang med groenne Bred
ベイ:緑なす岸辺のデンマーク
2. C. E. F. Weyse : Dannemark!, hellige Lyd
ワイセ:デンマーク!、明るい響き
3. C. E. F. Weyse : Dannemark!, hellige Lyd
ワイセ:デンマーク!、明るい響き
2.と3.は懸賞応募で入賞した詩(J. M. Jennsen)にワイセが作曲した歌
4. H. F. Kroyer : Velkommen i din Ungdom Lund
クロイヤー:ようこそ、若者の神苑へ
5. F. Kuhlau : 2te. Thema von "Lulu" Ouverture
クーラウ:自身のオペラ『ルル』序曲の第2主題
6. Kong Christian stod ved hoejen Mast
「クリスチャン王は高いマストの傍らに立つ」

 イントロダクションとロンドの部分に上記の曲が挿入されています。何度も現れるロンドの主要主題(d-moll)はクーラウ自身のものです。当時のコペンハーゲンで流行っていて魅力的なメロディを集めた作品なので、そのように命名したのでしょう。因みに『妖精の丘』は作品100なので,作品番号から推量するとその少し前に作曲されたことになります。「コペンハーゲンの魅力」で「クリスチャン王は・・・」を用いたことは『妖精の丘』序曲の習作ともとれます。このメロディは両者の曲においてコーダの直前に登場しています。なおこのメロディは現在、デンマーク第2国歌となっていて『妖精の丘』序曲の演奏の際、この部分に来ると聴衆が起立する曲となっています。

以下は当日のトークを収録したものです。

演奏会トーク

Op.20 SONATINE (清水美保さん)

 ただ今お聴きいただいた曲はピアノを弾いたことのある人にはよく知られたクーラウのピアノソナチネ作品20ハ長調の第1楽章です。ソナチネアルバムの1ページ目に登場しています。
今日はクーラウのピアノ作品をたっぷり聴いていただきソナチネだけでないクーラウをお楽しみ頂けたら幸いです。「クーラウの玉手箱」と題したコンサートです。玉手箱の中からどんなにすばらしいものが出てくるでしょうか?
プログラム解説の左上におしゃべりする見出しを書いています。
1曲目のロンドの所に
●クーラウのウインク
●新進の作曲家(ハンブルク)
とあります。
曲を始める前にこの2つをお話しいたします。

●クーラウのウインク
皆様のお手元にあるプログラムの表紙をご覧下さい。
クーラウのポートレートがあります。この絵は現在デンマークの音楽史博物館に所蔵されているホアネマン作のパステル画です。
右目をつぶってウインクしています。
しかし、これはふざけているわけではありません。右目が失われているのです。
1786年、クーラウは北ドイツのハンブルクとハノーバーの中間にあるユルツェンという町で生まれました。音楽家の家系です。お父さんは軍楽隊のオーボエ奏者でした。軍隊の転属のためリューネブルクに居た9才半の頃の寒い冬の日でした。クーラウはビンをもってお使いに出されました。それがお酒かミルクか水かはいろいろ説がありはっきりしませんが、買い物の途中一軒の靴屋の前で立ち止まりました。店の中にはめずらしいランプが点っていました。良く見ようとして踊り場に登り中を覗いているときに誰かが「フリッツ」と声をかけました。「フリッツ」というのはクーラウのフリードリヒの愛称です。その声で振り返ったときに足をすべらせ階段から転げ落ちました。持っていたビンが割れ右目に突き刺さったのです。長い闘病生活の後右目摘出ということになってしまいました。
その他に聖歌隊で歌っているときにオルガン奏者が家に忘れた賛美歌集を取りに行ったときに道路で転倒したとか、泉に水を汲みに行って泉に落ちたとかいろいろな説があります。
このようにクーラウの幼少時代のことは正確には分からないことが多いのです。
この時の療養中にベッドに鍵盤楽器が持ち込まれそれに熱中したあまり両親は音楽の道に進ませたということです。
ブラウンシュヴァイクのラテン語学校時代を経てクーラウが音楽家として歩み出すのは1802年のハンブルクです。16才の時です。約8年間のハンブルク時代ですが初めはピアノ教師として生業をたてていたようです。20才の頃から音楽界にピアノ演奏家、作曲家として名前が出てきます。歌曲、ピアノ曲、オペラ、など作曲したようですがハンブルク時代の作品は現在あまり残ってはいません。これからお聴きいただく曲は3曲のロンドでまとめて作曲されたものですがその第二番目に当たるものです。初めて作品番号が付いた記念すべき作品です。それではお聴き下さい

Op.2 3 RONDOS f r KLAVIER (岩崎恵美)

●デンマーク移住
●コペンハーゲンでの活躍
 クーラウは1810年11月にハンブルクをあとにしてデンマークに向かいました。これを一般的には亡命と言われていますが本人は演奏旅行と言っています。というのはこの頃ハンブルクはナポレオン軍によって占領されフランスの支配下に置かれ徴兵制度がひかれます。生活物資の欠乏、フランス軍の市の財政の搾取などによって音楽どころではない状況になりました。何故、クーラウがデンマークを選んだのかは不明ですが当時はハンブルクのすぐ北はデンマーク領だったこともありいわば隣の国だったわけです。コペンハーゲンではすぐさまデビューコンサートを開きます。1811年1月のことです。
こうしてクーラウはデンマークの文化人の中にとけ込んでいきます。1813年に2月宮廷作曲家として任命され、3月にはデンマークの市民権を得ることになりました。しかし、称号だけで無給です。王立劇場の要望があった場合に作品を提供しその都度報酬をもらうという立場で今日で言えばいわば契約社員のようなものでした。
1814年に作曲したオペラ『盗賊の城』はデンマーク音楽界に新風を吹き込んだものとして脚光を浴びることになり一躍クーラウの名前は知られることになります。
 クーラウは次第にデンマークの音楽界では重要な作曲家になっていきます。作曲ばかりでなくピアノ演奏会なども盛んに行う時期もありました。そんな演奏会でクーラウはベートーヴェンの室内楽などを取り上げて自身の音楽会で紹介しています。
 クーラウはデンマークに来てから何回か国外旅行に出ています。その内1821年と1825年の2回ウイーンまで旅行しています。最初の時はベートーヴェンがウイーンに不在で会うことは出来ませんでしたが2度目の旅行の時それが叶いました。この話はベートーヴェンの伝記の中に登場していることなので知られています。
 1825年9月2日のことです。ウイーンの近郊、バーデンでベートーヴェンは避暑をしていました。クーラウはそこに行ったのです。ベートーヴェンから温かく迎えられ歓迎されました。
 フルートの世界ではクーラウは「フルートのベートーヴェン」というニックネームで親しまれています。
 クーラウはベートーヴェンの作風に強く影響されています。形式面ではベートーヴェンが完成したソナタ形式を完全に踏襲しています。クーラウのメロディでベートーヴェンと見間違うことがあります。
例えばこんなものがあります。(作品88-3,a-moll とエリーゼのために)
 そんなクーラウがベートーヴェンの主題を用いて作曲したピアノ連弾曲の内作品76を聴いていただきます。

Op.76 8 VARIATIONEN fuer KLAVIER ZU 4 HAENDEN  ber Beethoven's "Lebensglueck"(岩崎恵美&相園恵)

●タバコ(パイプ)が好きな理由
 さて、前半の最後の曲になりました。作品4は話が前に戻りハンブルク時代の曲です。
クーラウは作曲をハンブルクの音楽監督シュヴェンケに師事しました。ハンブルクの音楽監督として有名なテレマン、その後継者のエマヌエル・バッハ、シュヴェンケはその後継者に当たる人です。作曲家、辛辣な批評家として音楽界で怖れられていた人です。クーラウはこのシュヴェンケに作品を見せてはことごとくにダメを出されていました。ある日レッスンに行ったところシュヴェンケは留守をしていました。シュヴェンケの娘がでてきてクーラウをピアノの部屋に案内して待つように言い残して出て行ってしまいました。どうも、このお嬢さんは「ひょろ長くて右目のない」クーラウが嫌いなようでした。待つこと久しくクーラウはそこに置かれてあったシュヴェンケのパイプを口に加えたり恰好付けしていたのですが、それを見ていた娘さんはシュヴェンケが帰ってきたときクーラウの不行跡を言いつけました。シュヴェンケはクーラウをさんざん叱りつけ、「やつのやってきたものを見てやるとするか」と言って恐る恐る差し出したクーラウの作品に目をやりました。その間クーラウはかしこまってシュヴェンケの言葉を待っていました。作品に目を通したシュヴェンケの口から次のような言葉が聞こえました。Herr Kuhlau, stopf er sich nur eine Pfeife!「クーラウさん、パイプにたばこ(の葉)を詰めなさい」。さん(Herr)付けでシュヴェンケが言ったのはこの時が初めてです。

 シュヴェンケはクーラウの才能を認めクーラウの後ろ盾となった人です。この作品4はクーラウがライプツィッヒのブライトコップフ社に送り出版を依頼したのですが「有名でない」と言う理由で送り返されてきました。クーラウはこれにシュヴェンケの推薦状を付けて再度送ったところ出版してもらえることになったのです。

 後にクーラウは弟子の前でパイプを吸うときにこの時の「勝利の瞬間」の話を良くしたそうです。クーラウがタバコ好きだったのはそのような背景があったからかも知れません。

それでは作品4のピアノソナタをお聴きいただきましょう。

Op.4 KLAVIERSONATE Es (岡直美)

------------------------休憩------------------------
●多作の理由

 本日のコンサート「玉手箱」の「手箱」には「小さな箱」と言う意味がありますがクーラウの作品は「手箱」に入りきらないほどの量があります。ピアノ作品一覧表をご覧いただけばお解りになりますがピアノ曲だけでも相当の数になります。お札を刷るように作曲したと言われるほどクーラウは作品を生み出しました。確かにそうして書かれた作品はお金となったのです。
なぜ、沢山の曲を書いたか、----その理由は生活に追われていたからです。両親、妹、いとこ、甥などクーラウに身を寄せる家族、親戚の世話を一身に引き受けていました。クーラウの宮廷作曲家として1813年にその称号を得ましたが5年後の1818年になってやっと正社員となりました。年俸300リグスダーラーです。この額は当時の夫婦と子供二人の一般家庭において贅沢をしないでやっと暮らせるほどのものでした。
 出版社に作品を売ることはクーラウにとって大きな収入源でした。フルート作品も出版社の要求に応じて書かれたものが多くクーラウが「貧乏」でなかったならば現在これほど作品が残っていなかったでしょう。フルーティストはクーラウの貧乏に感謝しなければなりません。
 ピアノ曲においても一部の曲を除いて同様の状況だったと思われます。クーラウの作品番号を見てみると番号が増えるにしたがって作品の質の向上が見られるかというと必ずしもそうではありません。これは出版社の要求に応じて作曲した証拠です。
 これからお聴きいただく作品もそのような出版社の要求に応じて書かれたものと考えられます。だからといって作品の価値がないと言うわけでないところが面白いところです。それではお聴き下さい。

Op.61 6 DIVERTISSEMENTS EN FORME DE VALSE fuer KLAVIER(相園恵)

●誤解
●クーラウとピアノ
 クーラウの生涯は不明の部分が沢山あります。そのため誤解も生まれました。一番の誤解は「クーラウがフルーティストだった」というものです。これは現在でもそう思われていることが多いのです。クーラウは幼少のころ父親からフルートを習った可能性は大いにあります。「私はフルートは吹けませんがフルートのことはよく判っています」という言葉や「フルートの簡単な運指も知りません」という言葉が手紙に書かれています。「クーラウはフルーティストである」誤解は今に始まったことでなく、クーラウの生前から引き続いているものです。それには当時の音楽事典に「クーラウはデンマーク宮廷楽団のフルート首席奏者」としているものがあります。現在でもピアノアルバムの解説でそのように書かれているものを見受けます。ですからピアニストの多くも誤解しているのが現状です。
 ならばクーラウの専門の楽器は何かと言えばそれは「ピアノ」です。1811年クーラウがデンマークで初めて演奏会を開いたとき作品7の第一番ピアノコンチェルトのソリストはクーラウ自身が演奏しています。即興演奏も得意でした。デンマークの社交界のサロンではクーラウのピアノ即興演奏は人気がありました。
 ピアノ作品を一瞥してみると様々な難易度の曲が混在しています。生前からクーラウのピアノソナチネは有名だったようです。ドイツの音楽学者に宛てた手紙の中で「あなたのお嬢さんは私が初心者のために作曲した作品を気に入ってくださったようですが、私はその他にも上級者向けの作品も作曲しているのです」と言っています。音楽史の中でクーラウはピアノソナチネ作曲家として名前を残しています。これはある意味では幸せなことであったかも知れませんが、それがクーラウの他の作品を隠してしまったとも言えます。
次の作品123は作曲年代は不明です。クーラウの死後、所蔵品の楽譜から出版社が引き取って出版したものです。というのはクーラウの最後の作品は作品122の弦楽四重奏曲です。この曲の作品番号は出版社が付けたものです。
 それでは次の曲をお聴き下さい。

Op.123 ALLEGRO PATHETIQUE fuer KLAVIER ZU 4 HAENDEN (清水&岡)

●デンマーク文化の黄金時代
●劇場作品
 デンマークの歴史の中で文化の黄金時代と呼ばれる時期があります。
それは1800年の初めから1850年の約50年間を言います。デンマークはこの時代諸外国からの圧力で領土も小さくなり経済も不況に見舞われた受難の時代でした。しかし、その反面、絵画、彫刻、文学、音楽が花開いた時代でした。クーラウは1810年から没する1832年まで約22年間をデンマークで過ごしましたが、この時代はデンマークの音楽史ではワイセとクーラウは音楽界の2大巨頭でした。保守的なワイセに対してクーラウの斬新さを支持する層も大勢いたのです。
 ピアノやフルートの作品に隠れてしまった感のある劇場作品は本当はクーラウが一番情熱を燃やしたジャンルなのです。現在残っている劇場作品は『盗賊の城』、『魔法の竪琴』、『エリサ』、『タルタルスのユリディーチェ』、『ルル』、『ウイリアム・シークスピア』、『妖精の丘』、『フーゴとアーデルハイド』、『ダマスカスの三つ子の兄弟』の9曲があります。中でも演劇『妖精の丘』の付帯音楽はデンマークの国民的演劇として史上1000回以上の上演記録を持つものです。1000回目の上演は1996年に行われました。私はこれをデンマークに行って聴きました。この演奏会の思いでは私のクーラウ運動の原動力となったものです。そのおかげでオペラ『ルル』の世界初再演も2005年に行いました。今年の10月7日には世界に先駆け188年ぶりにオペラ『魔法の竪琴』の4度目の上演します。歴史的な演奏会に皆様もお立ち会い下さい。ピアノ曲やフルート曲から想像できないクーラウに巡り会うことが出来るでしょう。
 それでは次の「コペンハーゲンの魅力」をお聴き下さい。曲の終わりの方にデンマーク国歌が現れます。国歌と言ってもオリンピックやサッカーの試合の時に流れるものではなく王家が関係する行事に用いられる第2国歌と言われているものです。これは『妖精の丘』の中でも用いられているものでデンマークで演奏するときはお客様はこの場面に来ると起立します。福岡ではその必要はありませんがこれがデンマークの国歌だとお解りになった方は起立しても構いません。(クリスチャン王は高きマストのそばに立つ)
 それでは今日のプログラムの最後の曲です。お聴き下さい。

Op.92 LES CHARMES DE COPENHAGUE. RONDO f r KLAVIER (清水)

有り難うございました。
それでは最後に今日の4人の美しいピアニストに魔女に変身していただきオペラ『ルル』の中にある「魔女の紡ぎ歌」をアンコールとして演奏していただきましょう。

Encore Hexenlied

アンケート集計

<<曲目解説はここをクリック>>


出演
清水 美保:ピアノ
岡 直美:ピアノ
相園 恵:ピアノ
岩崎 美恵:ピアノ
*
トーク:石原 利矩
曲目
Op.2 Rondo
Op.4 Sonate
Op.61 Divertissements en Form de Valse
Op.76 Variationen-Beethovens Lied "Lebensglueck"
Op.92 Les Charmes de Copenhagues
Op.123 Allegro Pathetique

主催:インターナショナル・フリードリヒ・クーラウ協会



Copyright(C)IFKS(International Friedrich Kuhlau Society,All Rights Reserved

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