IFKS第13回定期演奏会・『魔法の竪琴』プログラムノート

クーラウ・ルネサンス Part4
フリードリヒ・クーラウ作曲
オペラ『魔法の竪琴』演奏会形式

初演:コペンハーゲンの王立劇場 1817年1月30日
その後の上演:1817年1月31日、1819年2月24日


フリードリヒ・クーラウ作曲

オペラ『魔法の竪琴』

オペラ『魔法の竪琴』
 クーラウの第二作目のオペラ『魔法の竪琴』は、怪文書まがいの騒動(バゲセンの台本が剽窃だと疑いをかけられ2度目の公演で劇場は騒然となり、その後裁判によって疑いが晴れたが3度目の公演でも同様となり、騒ぎを静めるため軍隊が介入し上演が中止された事件)に巻き込まれ、たったの3回の公演のみで、音楽的な評価を得る間もなく消えてしまい、デンマーク王立図書館に長い間眠っていた作品です。色彩豊かな序曲、情緒に訴えるアリアや合唱曲など、オペラ作曲家としてのクーラウの非凡さ、オペラ『ルル』につながる彼の成長過程を如実に表す隠れた傑作であり、作曲家クーラウの全貌を知る上で、欠くことの出来ない作品です。
 このオペラはジングシュピール様式で作曲されています。今回の上演は演奏会形式で、歌詞は日本語で歌われ、ナレーションとバレェを配し分かりやすく親しみやすいものとなっています。
 美しく清らかな王女ディオネ、竪琴の名手テルパンデル、勇壮な武将スコパス、ディオネの侍女でコケティッシュなミュリス、スコパスの家来で楽天家、少々卑猥なパンフィルス、威厳ある王様、荒くれ男の海賊たち、ギリシャ神話のオルフェウスなどが登場します。勿論、タイトルの
魔法の竪琴も物語の中で重要な働きをします。

あらすじ:
 古代ギリシャの多島海にある王国での物語。王女ディオネは父王の勧める結婚相手の武将スコパスを尊敬しているが愛情を感じていない。ある日トルコの海賊が現れ姫や娘たちを連れ去ろうとする。そこに旅の竪琴弾きテルパンデルが現れ竪琴の音で海賊たちを追い払う。音楽の力により助けられた姫は竪琴弾きに心を奪われる。(以下略)


第1幕 Nr.2 踊り(オーケストラ)(クリックで音が出ます)
文章の途中にNr.6(パンフィルスのアリア), Nr.7(ミュリスのロマンス)、Nr.13(テルパンデルのアリア)を収録しています。
これはMIDIの音です。ここから聞こえる音はパソコンの環境により様々です。
本当はオーケストラ演奏です。生の音を想像してお聴き下さい。

オペラ『魔法の竪琴』について

 以下は2006年8月出版のオペラ『魔法の竪琴』ピアノスコア(IFKSクーラウ全集008)の序文にある会長ゴルム・ブスク氏の文章です。オペラの参考文献としてお読み下さい。

前言 

 デンマーク音楽史の中で、クーラウの第二作目のオペラ『魔法の竪琴』ほど、怪文書まがいの騒動で名を馳せ、と同時に音楽作品としては、殆ど知られていない作品はない。このオペラは当時の劇場のスキャンダル事件となり、それをさかのぼる1700年代の終わりに起きた同様なスキャンダル事件の続編となった。うち何人かは同じ当事者であった。最初のスキャンダルは、台本作者イエンス・バゲセンと作曲家フリードリヒ・ルートヴィヒ・エメリウス・クンツェンによる大オペラ『ホルガー・ダンスク』に関わるもので、1789年に上演された時、ドイツとデンマーク文化の激しい文学的紛争が起き、クンツェンはデンマークを去ることになったのである。クンツェンはドイツにバゲセンの『アリオンの竪琴』の草稿を持参し、作曲の構想を練っていたのだが、再びデンマークに戻ってきたときには、バゲセンが約束と違って『アリオンの竪琴』の完成に意欲を示さなかったので、クンツェンは他の作者に依頼し1800年にウイーンで『オシアンの竪琴』という名前で初演を行った。クンツェンが断りもなく自ら、その上、他人の手になる脚本で上演したことを知ったバゲセンはクンツェンとケンカ別れをした。結局このドラマはバゲセンが1816年に以前の草稿を完成させ『魔法の竪琴』と改めて、クーラウに手渡したことで終焉をみたのだが、この初演の数日前に神学生のベーダ・ヨート(バゲセンの激しい反目者で、かつロマン派詩人アダム・エーレンスレーヤーの熱烈な支持者)が、「『魔法の竪琴』の筋書きは『オシアンの竪琴』の剽窃である」とバゲセンを非難した文面のパンフレットを作った。実のところ『オシアンの竪琴』はバゲセン自身のオペラのドイツ語翻訳だったのである。バゲセンとの激しい口論をしたクンツェンは『魔法の竪琴』の初演(1817年1月30日)の二日前に心臓麻痺で死んでしまった。初日はフレデリック6世王の誕生日の祝祭演目であることから平穏の内に行われたのだが、しかし翌日の上演では劇場内はバゲセンの台本に対してブーイングと口笛とで騒然となる始末。一方、クーラウの音楽に対しては「クーラウ万歳」の声がわき起こった。一年後にバゲセンは剽窃に関してヨートを告訴し、長期間の裁判で勝訴する。そしてこのオペラに関する物語は1819年2月の第3回目にして最後の上演---その上演は以前よりも騒然となり軍隊の介入により上演が中止となった----で幕を閉じることとなった。この事件はコップの中の嵐と云えるものだが、公然と政治的な色合いのある意見の交換が当時の王権絶対主義により抑圧されていたということを反映したものであった。論争というものは、当時の知的な集会場所であった劇場で、かくも異様で無意味な文学上の紛争というかたちでしか、捌け口を見いだし得なかったのである。

 この騒動で意欲を失ってしまい、クーラウは他のオペラではいつもやる筈のピアノスコア出版を、この作品ではしなかったのである。その所為で、当時から現代に至るまでこの作品についての評価が行われていない。恐らく間違いとは言えないがこのオペラにはエポックメーキングとされている第一作目のオペラ『盗賊の城』(Klavierauszug IFKS 005)のようにパンチ力のあるシーンが欠けているという解釈があった。『盗賊の城』はエーレンスレーヤーの台本によるものであり、バゲセンの仮借のない、しかし尤もな批評の的ともなったオペラであった。そのようなことがあったとは言え、もちろん「魔法の竪琴紛争」を鎮めるものではなかった。今日、『魔法の竪琴』の台本とその音楽を通覧してみると、多くのすばらしい資質を備えた作品であることがわかる。論理的にも明快でありドラマ的にも前進的な展開を広げる筋書きで、これが、特に第1幕のところどころに見られるように連続的に作曲されているもの、つまり音楽のそれぞれの部分が互いに流れ進むものとなっているのである。このオペラ台本は以下に示す筋書きの要約でわかるように、話はナイーヴで、いささか古めかしいと云えるかもしれないが、クーラウが手にした台本の中では、最上のものである。

 このオペラは(クーラウの全てのオペラと同様にジングシュピール様式)古代ギリシャの多島海が舞台となっている。王女ディオネとその友達が歌い、踊る。(Nr.1 イントロダクション、Nr.2 踊り)。彼女らは海賊に襲われるが、竪琴に乗って歌が聞こえてくると海賊たちは魔法にかけられ逃げ出す(Nr.3 合唱、アリア[ディオネ]、合唱)。その歌の主、テルパンデルが登場する(Nr.4 アリア)。ディオネは父親が戦士スコパスとの結婚を約束していたがテルパンデルに一目惚れ、父親に彼女を救った人物としてねぎらうことを頼もうとする(Nr.5 二重唱、ディオネ、テルパンデル)。スコパスは従者パンフィルスにディオネへの愛を打ち明けるが、パンフィルスは結婚に対する忠告をする(Nr.6 アリア)。ディオネの友達、ミュリスは真の愛について歌う (Nr.7 ロマンス)。そこにパンディオン王が家来をつれ入場(Nr.8 行進曲)。そして二人のライヴァルに言い渡して、彼女への愛の証として一年以内に最高の捧げ物をした方に、王女を遣わそうと言う。(Nr.9 バレェ付き終曲)。

 次の幕ではパンフィルスは主人スコパスに、ディオネにもっと働きかけ気を引くようにとすすめる(Nr.10 アリア)。しかし、スコパスは耳を貸さずに、近隣国と戦争をし、その功績で王女の愛を勝ち取ろうと決める(Nr.11 アリア)。パンフィルスは戦争に同行することを断る(Nr.12 アリア)。ディオネは海に流され、テルパンデルが彼女を助けるため海に飛び込んだことが報じられる。愛し合う二人は嵐の中で無人島に漂着する。そこでテルパンデルは気を失ったディオネを目覚めさせようと試みる(Nr.13 アリア)。彼女は目覚める(Nr.14 アリア)。しかし、彼女が再び気を失うとテルパンデルは生き返らせるため自分の竪琴を壊しそれに火を点す(Nr.15 前奏曲 [ハープ・ソロ]、Nr.15a 二重唱)。しかし盗賊がやってくることに気づき、彼らはその場を急いで立ち去る(Nr.15b 盗賊の合唱)。王宮の前では、捜索から王が二人を連れて帰還したことが告げられる(Nr.16 アリア[ミュリス])、そしてテルパンデルをディオネの未来の夫として褒め称える。それまでに、隣国を打ち負かしたスコパスはこの決定に同意する。(Nr.17 短いファンファーレ、Nr.18 行進曲)。オペラは天から降りてきたオルフェウスがテルパンデルに新しく更に輝かしい竪琴を贈ることで幕となる(Nr.19 終曲と踊り)。

 『魔法の竪琴』は『盗賊の城』と同様、クーラウの作品の中では単一様式で書かれたクラシックオペラに属する。これ以降の劇場作品は、ウェーバーやロッシーニの影響を受けて「よりロマンティックな」響きがする。このオペラには、またフランス風のところがある。その理由は台本と音楽の結びつきが密接であること、また器楽演奏が多いということによろう(この傾向は1828年の『妖精の丘』になると、『魔法の竪琴』と同様の規模でみられる)。2つの行進曲、ハープのための前奏曲(両者ともヘ長調)が、後続の「窮地にある恋人たちの二重唱」の導入として用いられ、更にそれに続く盗賊の合唱に密接に結びついている(ヘ短調)。クーラウは前述の二重唱と盗賊の合唱にナンバーを付けることを忘れているがこの3曲は一体となっていると考えればよい。その他にも長めの曲との関係でバレエ音楽(踊り)が挿入されている。すなわち長いシーン(Nr.3)---盗賊が娘たちを襲う場面、竪琴の伴奏にのってテルパンデルの歌が聞こえてきて盗賊が魔法にかかる場面---の前にあるポロネーズ風の曲、そして各幕の終わりに用いられている様々な様式からなる2つののバレエ曲、第二幕のバレェ曲には『妖精の丘』の先取りとも言えるデンマークの響きが図らずも聞こえる。 

 この作品にはクーラウの特技である他の作曲家の作品からインスピレーションを受けたり模範にしたりして自身の作品を作り上げるモデルテクニックが顕著に表れている。モーツァルトの影響は彼の音楽に全般的に見られることだがこのオペラではフランスの作曲家、例えばグルック(第2幕の終曲の冒頭『オルフェオ』)、特にケルビーニ(序曲、パンフィルスの結婚反対アリア [Nr.6]、スコパスの戦争アリア [Nr.11])など、この3曲はケルビーニの救出オペラ『ロドイスカ』、更に最後の盗賊の合唱 [Nr.15b ヘ短調]はケルビーニの2作目の救出オペラ『二日間』(又は『水運び人』)をモデルにしている。

翻訳:石原利矩

ピアノスコア


A4版
(IFKSクーラウ全集008)
ギリシャの海をイメージした青
(実物と異なります)


序曲の1ページ目
(2006.6月出版)


台本
イエンス:バゲセン 作
福井 信子 訳

B5版
(2006.11月出版)

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