ルイーセ・ハイベアの証言

「作曲家ク−ラウとも私はここ(ヴェクスシャルの家)で初めて会いました。彼は私に良い印象を与えました。私は彼が片目であるということを先ず受け入れたので、この一つの目は非常に美しく、整った顔立ちに2つ揃っていないことは残念なことに思われます。彼は感じの良い率直な人で気立ての良い性質を持っていましたから私は彼と冗談を言いあったほどです。・・・後略

「とも」というのはエーレンスレーヤーのことをこの前の項目で書いているからです。

Ogsaa Componisten Kuhlau saae jeg her for første Gang. Han gjorde et godt Indtryk paa mig, da jeg først havde forsonet mig med, at han kun havde eet Øie; men dette ene var saa smukt, at man maatte sørge over, at der ikke var to i det ellers velformede Ansigt. Han var gemytlig, ligefrem og havde et saa godmodigt Præg, at endog jeg indlod mig i Spøg med ham.

 

Johanne Luise Heiberg(1812〜1890) : Et Liv Gjenoplevet i Erindringen (回想録)、 1巻63ページ (全4巻)
(1〜2巻)1891 出版(3〜4巻)1892出版、
ルイーセは女優で『妖精の丘』の初演(1828年、16歳の時)のときにアグネーテ役で舞台に登場しています。クーラウと出会った時期は女優の修業をするためヴェクスシャル夫人の家に寄宿していたときです。この時クーラウはリュンビューに住んでいたので1826〜1828年頃の話だと想像されます。後に彼女はハイベアと結婚をしました(1831年)。Johanne Pätgesが結婚前の名前です。